第一回議事録 (10月18日)

ローマ人の物語第I巻 

「ローマのリーダーとシステムを考える」
○ なぜ覇権国家としての力を持ったのか?
・ 他民族を、差別することなく取り入れていったからではないか。
○ なぜ、他民族を取り入れたのか。(とくに、二代目のヌマから既に、ラテン民族ではく、サビーニ族の王になったのは、驚くべきこと。)
・ ローマの黎明期は、周りに、ギリシャ人とエトルリア人という優秀な国家に囲まれており、自分たちの手で建国するよりも、周りの優秀な国の知恵を用いたほうが、早かった。この経験が、後々まで、ずっと他民族や侵略した国の市民に、寛容な態度をして、自国に取り組んでいくという基本スタイルにつながっていったのではないか。
・ ロムヌスの時代から、他民族との間に子孫を増やしたから、選民意識が無かったのではないか。
○ なぜ、王は堕落しなかったのか
・ 建国当初は、王というもの自体にうまみがなかったから。つまり、やらなければならないことが、たくさんありすぎて、大変だったのではないか。
○ なぜ、はじめ王制が続いたのか。
・ 建国以来、「尊大なタルティウス」まで王制が続いたのは、最初は、処理しなければならないことが少なかったので、王一人で対処できた。また、黎明期において、急速に発展する必要があり、中心者が一人のほうが、国家全体のフットワークがよく、王制が適当であったのではないか。
cf 自己充填コンクリートは、日本ではなかなか普及しないが、オランダでは既にすべてのコンクリートを自己充填コンクリートにシフトした。それは、日本では、意思決定に多くの人がかかわるために、なかなか合意に至らないのに対し、オランダでは、コンクリートの専門家が一人しかいないため、その人の意見がすぐに国全体の意見として反映させることができるから。
○ 王制、共和制、帝政と移行していく背景には何があるのか。
【王制】  ・リーダー1人が組織を引っ張る方が新興国のシステムを構築する上で適当であった。(上記参照)
【共和制】 ・部族ごとの有力者など、配下にある程度の大きさの組織をもつ人々が元老院議員となっていて、それぞれが違う背景をもって政治にのぞんでいたため、局所的な権力集中が起こらなかった。多人数を統治するための分割統治に近いシステム。
・いざ危機になれば、これらの普段権力を持っている人々からある1人に権力委譲を行うだけで、簡単に権力集中が行える。
【帝政】 ・ローマの拡大とともに民族が混じり均質化し、互いに強い利害関係を持ち合わせた元老院議員が増えてきたため、意見対立が増加したため、これをまとめ上げるために帝政へと移行した。
○ コンスル(執政官)とディクタトール(独裁官)という相反するシステムを内包していたことについて。
組織が多様性に富み、事態に柔軟に対応できた。
国家自体が外に開いたものであったから、システムが歪められずに創設当初の定義のまま変わらずに機能し続けた。
○ ディクタトールはなぜ、カエサルまで任期を忠実に守ることができたのか。
・ 独裁官はあくまでも苦肉の策であった。『王』は嫌だが執政官ではどうしようもない、というときの例外的措置で、非常時だから目をつぶれということ。
・ また、彼らにとっては『システムの外の存在』だったのでは?共和制になってからも長らくローマ人が王政アレルギーだったことを見れば、自分たちのシステムに独裁者をおくことは忌むべきことだった。実際、終身独裁官になったカエサルではあるが、暗殺の直接原因はそのこと自体ではなく『王位を狙っている』という噂がたったから。
○ なぜ、普段は平民と貴族で争っているのに、他国に攻められると、急に団結することができたのか。
・ 組織は、共通の外敵を意識することによって、団結することができるのではないか。
・ 現代でいうと、アメリカが似た状況にある。普段は、州として、ばらばらに機能しているのにたいし、テロという外国からの攻撃にあったとたん、みんなが団結した。
・ EUも、通貨統合を果たしたが、やはり、アメリカという巨大国家や米ドルや円という強い通貨の外敵があったから、欧州連合や通貨統合という形で団結できたのではないか。
・ ギリシャは、国を意識するというよりも、ポリスを意識するために、ギリシャの他のポリスが責められても、団結せず、自分のポリスが被害を受けるときにだけしか団結できなかった。アメリカがテロの後に団結したのは、愛国心がみなにあったから。つまり、愛国心、というものがないとやはり国全体で団結することは難しいのではないか。
○ ギリシャのシステムについて
・ ギリシャ(特にアテネ)は、政治のシステムがあまりにも完璧であったために、市民の状態にシステムを合わせていくというよりも、システムに市民を合わせていったのではないか。ゆえに、ローマが他民族や侵略した地の民に投票権を含む市民権を与えたのに対し、アテネは、(全員投票による完全直接民主制、というすばらしいシステムは、投票者が多くなりすぎると機能しなくなるのを嫌って)かたくなに、アテネ市民にのみ投票権を与え、またアテネ市民という定義も、強い制限があったのではないか。
・ ローマとの植民に対する考え方の違い。完全直接民主制という政治システム維持のための『食い扶ち減らし』と、軍事拠点設立・ローマ人と現地人の融合・混血などの国家戦略としての殖民の違い。
○ アメリカとローマ
・ アメリカは、アメリカンドリームという謳い文句で、他の国から来た人に、国籍を比較的簡単に、与えるという点で、ローマと似ている。
・ しかし、アメリカの大統領になるには、今のところ結果として、WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)だけと、限られているが、ローマは、エトルリア人やサビーニ人でも長になることができた。

(文責:三橋幸作)

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