カエサルの“凄さ”の秘密

社会基盤学科 甲元信宏

 私がカエサルについて思うことにまず、その人並み外れた「魅力」がある。

 少年期、青年期のカエサルは、私が思うに、大した人物ではない。確かに、スッラからマリウス系の妻と別れるよう命令され、逆らったことを好意的に解釈すれば、ポリシーを持った意志の強い人物と取れるかもしれないが、私にはただ自分のしたいようにしたとしか思えない。それが何かの考えに基づいているとは思えないし、ましてやそれが壮年期に見られれような多岐にわたる目的意識によるものとは到底思えない。事実このことによってカエサルの出世が遅れたことは否めない。この頃のカエサルが、後のようにずば抜けた政治力、統率力、指導力等々を持ち合わせていたとするなら、間違いなく早期の出世を考えたであろう。なぜなら、カエサルは、後期にはあれほど自分が年を取り過ぎていることを恐れ、驚くほどの性急さで改革を進めているからだ(後半の彼の生き方は私にはそう見える)。

 こう考えていくと、愛人と借金作りに執着した青年期を送ったこの頃のカエサルは大した人物でないといえる。しかし、そうして人生の半分、いや、4分の3を無駄に送ったとしても、後半の爆発的実行力と超人的先見力を持ったカエサルには何のハンディにもならないのだが。。。ただ注目すべきはその桁外れの「魅力」である。本来いがみ合うものである(ドラマではそうだ)愛人同士が、社交界の席でカエサルの話でワイワイと盛り上がる。妻を寝取られた夫がカエサルに喜んで金を貸すし、カエサルに協力を惜しまない。こんなんこと普通あるだろうか。少なくても私はこんな話し一つも知らない。このカエサルの「魅力」は一生衰えることがなかった。私はカエサルに備わる数ある特質の中でも最も重要なのは「魅力」であったと考える。カエサルがアウグストゥスのように18歳で執政官に就任し、50年近く絶対的権力を持ち続けたのなら、そこまで魅力はいらなかったのかもしれない。しかしカエサルには明らかに時間がなかった。短期間に改革を押し進めるためには、魅力は絶対的要素だった。しかし、カエサルの凄さの秘密を考えていくとこれだけではない。しかし、それらの特質が出現するのはもう少し待たなければならない。

 カエサルは40歳にして政治に燃え出すわけだが、そこに何があったかは常人の図れるところでない。しかし、一ついえることは彼の人一倍の興味や精神的な活力といったものが一気に政治につぎ込まれはじめたということだ。つまり、彼の活力が、愛人や借金作りに飽きて(かどうかは分からないが、何らかの理由でそれらを止めて)、政治の分野につぎ込まれたと言うことだ。あれだけ世間を沸かせた男である。その意気込みが政治につぎ込まれれは凄いことになろう。カエサルはまず彼の戦争の強さによって台頭していく。この戦争においてカエサルの二番目三番目の特質が現る。実行力と判断力である。私は彼の強さの要因はこの二つに起因するのではないかと思う。

 まず、二千年以上前とは思えないほどに彼はとにかく精力的にヨーロッパを駆け回っている。このことは敵もさることながら、時には味方も驚かせ、そして自軍を勝利に導いている。きっとカエサルと言う人物は、目を離すとすぐ居なくなるような人物ではあったのだろう。これは彼の、非凡な実行力に支えられた「思い立ったが吉日」的素早い行動によるのである。彼の場合実行力は行動力と言い換えられるかもしれない。この実行力によってカエサル軍は何度も窮地を脱していることを考えると彼の特質の一つに挙げないわけにはいかない。

 次に判断力である。カエサルの作戦をカエサルが全部考えたかというと、それは無いと思う。必ずブレーンがいたと思う。それに自分一人ですべての情報を集めるのは絶対不可能である。作戦全部をカエサルが考えてないとすると、ガリア戦記は嘘になるかというと、そうではないと思う。無数の情報を正しく認識し、数ある作戦の中からそれを選んだのはまぎれもなくカエサルであるからだ。これは、ガリア時代だけでなく、ローマで改革をした時代でもそうであったと思う。カエサルはきっと作戦を作り出す能力ではなく、それを判断する能力に優れていたのだろう。ここがハンニバルとの違いなのかもしれない。

 カエサルがローマに帰ってきて改革と遂行する際には四番目の特質が現れる。先見性だ。カエサルが行った改革は、政治改革にしろ経済改革にしろ、すべてある種の先見性を持つ。それぞれを詳しくは述べないが、民族寛容主義のカエサルが通貨に関しては統一したことなどは圧巻である。実は現代のヨーロッパ人はカエサルの二番煎じであるのだ。カエサルの先見性は方向性といってもよいかもしれない。自分が向かいたい方向に向かってひたすら突き進む。すると何らかの先見性が生まれてくる。岡村先生が言うようにそれが本当に正しいことだろうと無かろうと、自分が正しいと思っていれば、十分突き進む価値はあるのであって、突き進むことによって方向性が生まれ、しいては先見性が生まれると言うことなのではないだろうか。この先見性によりカエサルが作ったシステムが後世にそして現代にも受け継がれていることを考えると、これもカエサルの特質といわざるを得ない。

 今、こうして四つのカエサルの特質を挙げていったが、実行力、判断力、先見性は、ある程度は努力によって身に付くと私は思う。実際カエサルは青年時代、借金の3分の1は読書に費やしていたという。(当時は読書といっても決して気軽に出来るものではないから、今で言うサテライトを使って有名講師から授業を受けるようなものかもしれない。)カエサルも努力によって判断力や先見性の源になる知識などを手に入れていたのだ。体力を鍛えることによって実行力も増したであろう。

 しかし、魅力はどうであろう。これだけはいかんともしがたいように私は思う。だから、魅力を最も重要なものに上げたのだ。だだ、我々にとって救いなのは、カエサルのような魅力は歴史上の人物を見てみても、そう居るわけではなく、のちのアウグストゥスやティベリウスなどは長期間ゆっくり進めることでカバーしている。

 後何世紀も続くシステムを創造したカエサルのようなすごい人物の特質からは何も学べないと言うのはあまりに悲しすぎるので、カエサルの特質を分析すればこうなるのではないかと言うことについて書いてみた。

 最後にカエサルとは少し離れるが、私が強く感じたのは、個人的経験は当事者が死ぬと消えてしまう、とすれば、我々は何をのくすべきであるか、それはシステムである、ということだ。現代に置き換えれば、戦争の個人的経験はどんどん失われていって居る。いくら戦争の展示をしても個人的経験を残すことは出来ない。そうすれば、戦争が起こらないようなシステムを残す以外ないのだ。それが、ヨーロッパにおいてはEUで、日本においては憲法なのかもしれない(日本人が憲法を守っているかどうかは疑問だけど)。そう考えていくと、システムというのは人間の残せる唯一の恒久的遺産なのだろう。

 じゃあどんなシステムを作っていけばよいのだろう?さあ困ったぞ。

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 最後の授業を受けてみて、実は今までの考えは少し変わった、というか、あることに気づいた。(うえの文章は最後の授業を受ける前に書いた)

 今まで私は、もし私にすごい魅力があったらどんなにハッピーだろうと思って来た。カリスマでのいい。(私にとってはカリスマと魅力の違いはほとんどない。どちらにしろ人を引き寄せるのは変わらないのだ。「魅力」は、ポジティブな意味で、「カリスマ」は、ネガティブな意味だと思っている。)カエサルみたいなすごい魅力があったら、物事をするのにどんなにやりやすいだろう。

 しかしよく考えたら、魅力というのは自分が感じるものではないということだ。自分に対して他人が感じるものである。これって実に当たり前だが、結構重要だと思う。

 つまり、魅力、実行力、先見性、判断力のうち、魅力だけは、受動的なもの。後の三つは能動的なもの。後の三つは自分が持つものであるが、魅力だけは、相手が持つものなのだ。この魅力だけの特異性を考えると、魅力に固執することは、得策ないように思える。魅力がないと嘆いても全く仕方ないし、魅力を付けようと力んで頑張っても、きっと効率的ではないだろう。それよりは、もっと他の能力を身につけるために、頑張ったほうが良いだろう。

 魅力というものは、他の自分の持つ能力を高めることにより、後から付いてくるものなのだ。カエサルは、特例だとして、我々にとっては、上の能動的能力を高めることが、最重要ということだろう。

 私が思うところでは、リーダーにとって重要なのは、実行力、先見性、判断力を身につけること、ということに帰着したい。