リーダーシップと人間学

80035 石村隆敏

カエサルにみるリーダーシップ

 このセミナーを通していろいろなリーダーとしての特質をみてきたが、わかったことは、リーダーにはいろいろなタイプがあり、ひとつではないということであった。ハンニバルとスキピオ、マリウスとスッラ、カエサルとポンペイウス、アウグストゥスとアントニウスなどをみてみるとそれがよく分かる。しかし、リーダー(特に成功するリーダー)にはいくつかの共通点があると思う。その中でも私は、特に次の二つが重要であると考える。ひとつは、“自分自身に忠実である”ということ。そしてもうひとつは、“情熱がある”ということである。それはカエサルも当然持っているものである。

 カエサルには、ポンペイウスをはじめとするポンペイウス派を打倒することではなく、ローマという国に新制度を確立するという確固たる信念があった。この確固たる信念というのは、“自分自身に忠実である”ことから生まれてくると考える。それに対しカエサルと敵対するようになった頃のポンペイウスには、周りの人々に持ち上げられたという例にも見られるように確固たる信念というものが見当たらない。この差が、カエサルとポンペイウスの違いであり、二人の命運を分けた原因のひとつであろう。ポンペイウスには確固たる信念がなかったために、行動や言動に一貫性がなく、カエサルに敗れてしまったものと思われる。逆にカエサルのすごいところは、確固たる信念というものがローマに新制度を確立するというものであったために、ポンペイウスとの戦いはあくまで通過点に過ぎず、どの時期にポンペイウスと戦い、どのようにして戦えば自分の目標をいち早く達成できるかをしっかり考えていたことである。目的,目標と手段を決して見失わないすばらしい人物である。

 またカエサルは“情熱”も持っていた。積極的にルビコン川を渡り、積極的に行動していた。私は情熱を持つことにより、積極性が生まれると考える。そして積極性があることによって、自分の持っている才能を生かすことができると考える。ポンペイウスは情熱がなく、積極性を欠き、後手に回ることが多くなって、結果的にローマ本国を放棄することになった。自分の才能を生かしきれてなかったという典型的な例であろう。

 まとめると、“自分自身に忠実である”ことから確固たる信念が生まれる。それに“情熱”が加わることによって積極性が生まれ、自分の才能を生かすことができ、大成していくものであると考える。

 最後に、ブルクハルトの『世界史についての諸考察』の一部を引用する。この文に、カエサルという人物が表現されていると思う。

「歴史はときに、突如一人の人物の中にみずからを凝縮し、世界はその後、この人物の指し示した方向に向かうといったことを好むものである。これらの偉大な個人においては、不偏と特殊、留まるものと動くものとが、一人の人格に集約されている。彼らは、国家や宗教や文化や社会危機を体現する存在なのである。…」

 

ローマのシステム

 システムにおいて大事なことは、誰が最高責任者になってもうまく機能することと、時代や場所(文化)に合ったものを構築することであると思う。

 ローマが共和政になったころ、ローマ以外の国では、主に君主政であった。例えば、二人の王による統治がなされていたスパルタがそうである。そのような場合、君主の才能によって、システムがうまくいくかいかないかが左右される。そして、えてして最初にそのシステムを構築したときは、その君主には才能があり、うまく機能するが、その君主が死んで次の君主になったとき、うまく機能しなくなる。ローマという国がすばらしいのは、そういったところにいち早く気がついたところであろう。そしてローマでは、一年ごとに選挙で選ばれる人々によって治められ、個人よりも法が支配する国家になる。こうして、個人よりも法が支配するようにしておけば、最高責任者が変わってもうまくシステムが機能する。またその頃、ギリシャでは民主政であり、ギリシャのシステムは周りの国が見習おうとするようなよいシステムであるということであったが、ローマは真似をしなかった。それは、ギリシャではたとえうまくいっていたとしても、ローマではうまくいかないであろうと考えたからであろう。当たり前であるが、ローマとギリシャは違う。特にローマは、貴族とクリエンテスの関係という、ローマ独特の文化を持っており、システムを構築する際、それを考慮に入れなければならなかったと思う。つまり、その土地の文化にあったシステムの構築が必要であるということである。今、日本がアメリカのシステムを導入したとしてもうまくいくとは限らないし、一昔前の日本がバブル時代に、アメリカが日本のシステムを取り入れたとしてもうまくいかなかっただろう。

 また、システムは時代に合ったものを構築しなければならない。ローマが共和政になった頃は、システムはうまく機能していた。しかし、カエサルが登場してくる時代では、そのうまくいっていたシステムも機能しなくなっていた。その理由としては、ローマの共和政は社会が小さいときにはうまく機能するものであるが、社会が大きくなるとうまく機能しないものであったからである。例えば、その頃にはローマの支配域が大きくなり、地中海全域にわたっていたが、執政官を選ぶのは直接選挙であり、選挙をする人のそのほとんどがローマに住んでいる人であったという。それでは、システムがうまく機能しているとはいえない。そこでカエサルは、支配域が大きいときは共和政ではなくて帝政のほうがうまくいくと考え、それを実行しようとしたのである。

 以上のことから、システムにおいて大事なことは、誰が最高責任者になってもうまく機能することと、時代や場所(文化)に合ったものを構築することであると思う。