第ニ回議事録 (11月7日,11月14日)

ローマ人の物語第II巻 


〇第一次ポエニ戦役
〜新技術について
・ カラスは何故ローマ人に思いついてカルタゴ人が思いつかなかったのか?
ローマ人−格好を気にせず(海に対する思い入れがないため)実質本意。海に関して素人だからこそ思いついた。海上戦→陸上戦へ。
格好を気にしないほうが強い?(cf 元寇時の朝鮮)
カルタゴ人−海運国としての誇りが景観をも重視させた。
      敵がいなく戦争をせず競争がなかったために技術停滞。
・ アルキメデスは凄い。一つのアイデアが局面に効いた。ただし大局を左右するには至らなかった。
→技術革新とは何か?(例:カラス・鐙・騎兵の利用法・三角帆etc)
 でてきてみると「こんな簡単なものを・・・」という感じだが初めに思いつくのは難しい。

〇第二次ポエニ戦役
・ハンニバルvs.スキピオ (cf.項羽と劉邦)
ハンニバル派(2人)
 アルプス越えや戦闘などにおける実行力がある。戦術に関しては天才的である。ただ孤高の人という感は否めずマネジメント能力が足りないのでは?ローマを打倒したあとの明確なプランが提示されていない。いわゆるワンマン社長タイプでこの手の集団には規模の限界がある(cf.失敗学)
スキピオ派(3人)
戦争時の能力においてはハンニバルに遅れを取るものの政治にも長けていてバランスがいい。非常にsmartな感じがある。人がよさそう。

・ザマの会戦
 勝者と敗者、正義と非正義の違いは?いつから正義非正義の考え方が現れたか?
−宗教の違いなどの自分の考えを押し付ける。じゃあ正義とは何か?−これは難しい問題。
 戦術に関して。ポエニ戦役を境にして「量勝負」から「質勝負」に変移した。つまり、戦術の重要性が増した。包囲戦に持ち込めば有利にことが運べるので、そのために騎兵のadvantageや軍団の柔軟性を活用する必要が出てきた。
・カルタゴは何故ハンニバルに援軍を送らなかったのか?
 カルタゴは国内派と進出派に二分していたので送れなかった。またローマに進出することに政治的、経済的に魅力を感じなかった。などの理由が考えられる。またカルタゴの統治体制は不明だが、トップの危機意識が非常に低いと思われる。

〇自国兵と傭兵の比較
 傭兵には自国民が死なない、戦闘のプロである、等の利点が挙げられるが逆に防衛戦には向かないであろう。一方自国兵は自国民の人数が減ってはしまうが、国のために戦うためモチベーションが高い。またこの頃のローマは頻繁に戦争を繰り返しているので、技術的にも傭兵に劣らなかったと思われる。ローマは自国の防衛を他人に任せる概念がなく、さらに金がないのもあり必然的に自国兵を持つ体制になった。しかしカルタゴは肥沃な土地や海での利権を背景として金があったので傭兵に頼ってしまったと思われる。

〇何故国力では劣るローマが勝ったか?
・ ローマのよい点 負けた将を罰しない、執政官に全権を与える、など指揮官が戦争に集中できる環境作りをしていた。元老院という優れた将を連続して輩出できる機関を持っていた。捕虜の話→挙国一心だった。また消耗戦で金が必要でも同盟国に必要以上の負担をかけないことでローマ連合の維持を重要視した。
・ カルタゴ対ローマ、ではなく、ハンニバル対ローマだった。ハンニバル軍が点であったのに対してローマ軍は線と面で構成されていた。ハンニバル一人に対しローマは人材が豊富でハンニバルの占領下が多くなるにつれて一人ではカバーできなくなった。
・ ハンニバルのミス? ローマ連合の離反にこだわりすぎ、ローマを放置しすぎた。始めにローマを落とせば勝っていただろう。しかしハンニバルはローマ連合の解体なしにはローマは落とせないと考えていた。そこでハンニバルは「強さを見せつければ味方になる」というそれまでの世界の論理で行動したがローマには通用しなかった。
                 ↓
じゃあ何故ローマ連合にはその理論が通用しなかったか?
 ローマは非常によい政治で統治し、インフラの充実などで豊かに暮らしていて、ほぼ同化していると言っていいくらいだったから。
                 ↓
じゃあ何故ローマだけがそんな合理的なシステムを作れたのか?
             この答えはまた今度・・・

〇スキピオの失脚
・ 他の元老院議員の嫉妬、スキピオは内政を省みてなかった。
・ 体制保守のため。ローマのこの時期のシステムは抜きん出た一人の存在を受け入れられない。
・ 権力が一人に集中するのを嫌悪する民族性。
〇男の友情とは何か?女の友情は?・・・結論はないでしょう。

(文責:濱元 優)

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