2002/01/31提出締め切り


少人数セミナー

「持続可能な社会を考える」〜ローマ人の物語〜

最終レポート



土木工学科 3年 20023 中村 公紀



ローマと日本
 以前から塩野氏の著作を読んで常に感じてきたのは、彼女が著作の中で語るローマやヴェネツィアを現代の日本に投影すると、驚くほど共通項が多いことへの驚きである。それは単に政治的なものでなく、特に宗教観に現れる。あるいは、古代国家の発展のさまにかんがみて日本に足りないものも浮かび上がってくる。国家が持続するためには、国体維持の信念より、国体を変革する覚悟が必要なときがあるのだと、強く訴えているように思える。
 特に、キリスト教が広まるまで、ローマでは公共への奉仕を柱としたローマンスピリットが常に息づいてきたことが、国難に直面するたび立ち上がるローマの強さの秘訣であるのはいうまでもない。日本においても、明治維新前後や戦後の高度成長期には、強い志を持ち、公共心にあふれた技術者・政治家が多く存在したのは事実である。しかしながら、ローマでもそうであったように、いくらかの平和が続けば、必ず歪みが起こるのは常であるが、ここでローマと日本の違いが明白になってくる。そこでの立ち上がりの速さは、ローマ市民である誇りと日本人である誇りの強弱に尽きる。自らへの誇りとは、政治のレベルでも技術のレベルでも、今自分たちが持つ力を常に把握し、よいものならば積極的に駆使し足りないなら切磋するという冷徹な理性に直結する。ここが、現代の日本に足りないもののひとつであろう。

現地を訪れて
 海外夏季実習において、私はナポリに滞在した。ナポリやその周辺はローマが帝政に入るとにわかにその登場回数が増える。自分のアパートがあった港町は、古代でも重要な商港であったらしく、よく名前が出てくる。そうした実体験との重ねあわせで、この著書をより身近に楽しめるようになった。また、帰国後に読んだ諸節でもう一度ナポリを訪れたいと思うこともしばしばである。何気なく手にとって衝動買いした本であるのに、ここまで自分に影響を与える本は初めてだった。

ゼミを終えて(思い残しなど)
 実際に議論したなかでも、やはり政治とインフラの関係を見直し、技術者のアイデンティティの確立するという点が最も重要な結論であったと感じている。ローマで公共事業をなす人は、国家への奉仕者として個人名を前面に出して賞賛された。そのまま日本に当てはめるにはやや極端ではあるが、『公共物に個人名がしゃしゃり出るべきでない』という主張があるとしたら、それは現状認識に欠けるといわざるを得ない。現在日本の土木業界に向けられているのは、技術者への不信である。そうした中、ある一定の基準をクリアして確実に安心安全なインフラを作る能力のある技術者は、社会から広く賞賛されてしかるべきだし、建造物に名を刻むことで責任の所在が明確になり、技術者への叱咤激励にもなりうるのである。また、技術者にとっての生きがいがそこに生まれることにもなる。

最後まで結論が出しきれないものも多かったが、もうひとつできれば議論したかった論点がひとつあった。それは、宗教、特に一神教が国家に与える影響についてである。
1巻から5巻までは、まだキリスト教は存在しておらず、ユダヤ教が一辺境の民族宗教としては登場してくる。そのユダヤ教を扱うのにローマが非常に苦心している様子や、7巻以降本格的に登場するキリスト教に至っては、伝統的なローマの精神を根底から覆すような状況を見て、現代の国際的な宗教対立・あるいはアメリカとイスラム過激派の関係に思いをはせずに入られない。
一神教は、なぜ『一』神教なのか。なぜ異端に非寛容なのか。
私が現在読んでいる7巻では、キリスト教の影響は未だローマに広まってはいない。しかし、キリスト教の流布が少なからず、ローマンスピリットの減衰ひいては国家ローマの衰退へとつながっていく最大要因ではないかと推測している。他者より絶対的優位に立とうとするアメリカが、同じ道を歩みかねないのでは?…とも憶測できたりもする。
とはいえ、今回では範囲外であったし、ほとんど哲学の領域であるからあまり話題にする機会がなかったのも仕方がない。

最後に(感想)
 何気ない思いつきで買った本が講義の題材にまでなってしまい、かなり楽しく参加できました。もし続き、あるいは来年度以降もやるなら参加してみたいです。

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